Key Points
- もんてびでお丸は1942年7月に900人以上のオーストラリア人捕虜を乗せて沈没しました
- この日本の輸送船の残骸は今月フィリピン沖で発見されました
- この船から遺骨などが引き揚げられることはないということです
もんてびでお丸は第二次世界大戦中に米国の潜水艦に撃沈されました。
沈没した時、この日本の輸送船は1000人以上の捕虜を乗せており、そのほとんどはオーストラリア人でした。それから80年経った今、その残骸がフィリピン沖で発見されました。
発見したのはオーストラリアの実業家、海事史慈善家、探検家、サイレントワールド財団のディレクターのジョン・マレン氏の率いる調査隊です。
「このもんてびでお丸の発見は、軍事また海事史の悲惨な一章の幕を閉じます」とマレン氏は語ります。
「この沈没の悲劇的な結末について知るまで、家族は行方不明になった愛する人の知らせを何年も待っていました。彼らの愛する人が犠牲者の中にいるということを完全に受け入れることができない人もいました」
「この船の発見で、我々はこの悲惨な惨事によって打ちのめされた多くの家族に区切りをもたらすことを願っています」
先週土曜、アンソニー・アルバニージー首相はこの災害で命を落とした人々に敬意を表しました。
首相はツイッターに、「ついに、もんてびでお丸の失われた魂の安息の地が見つかりました」と書きました。
「船に乗っていた1067人の捕虜のうち、850人がオーストラリアの軍人でした。彼らの命は短く断たれました。我々は今日の知らせが、長く待ち侘びていた人々にある程度の慰めをもたらすことを願っています」
この大惨事で亡くなった人々
1942年7月1日、もんてびでお丸が米軍の潜水艦USSスタージョンから魚雷攻撃を受けた時、約1060人の捕虜、また民間人を乗せていました。
この米軍潜水艦は、もんてびでお丸が数ヶ月前にニューギニアの陥落したラバウルで捕らえられた連合国軍の捕虜を乗せていることを知りませんでした。
ノルウェーの貨物船Hersteinの乗組員33人、また日本の護衛と乗組員とともに、推定979人のオーストラリア人がこのオーストラリアの海事史上最悪となった惨事で命を落としました。
この悲劇の影響は、オーストラリア、デンマーク、イギリス、エストニア、フィンランド、日本、アイルランド、ニュージーランド、ノルウェー、スコットランド、ソロモン諸島、スウェーデン、米国を含んだ、少なくとも14の国に及びました。
もんてびでお丸はどのように発見されたのか
このもんてびでお丸の場所を見つける調査は、オーストラリア国防省からの支援の下、サイレントワールド財団、またオランダの深海調査専門企業フグロにより考案されました。
捜索は4月6日にフィリピンのルソン島の110km北西の南シナ海で始められ、最先端の技術を利用し、わずか12 日で水深4000メートル以上の場所で有望な観測が記録されました。
The wreck of the Montevideo Maru was discovered off the coast of the Philippines. Source: Supplied / Silentworld Foundation
サイレントワールド財団によりますと、現場は調査の目的として記録され、船の残骸からの遺物また遺体の引き揚げは行われないということです。
マレン氏は、「どれ程の歳月が経とうとも、任務遂行中に命を落とした人々を忘れることなく、探すことをやめない国の国民であることを誇りに思います」と述べました。
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